古代・中世
日本の街路樹の歴史も古く、約1,000年以上の歴史を持つ。6世紀末から7
世紀初頭の滋賀県大津市の穴太(あのう)遺跡からは、区画された建物郡
の水路に沿って、モモの木が列植された後が見つかっている。
また、奈良時代(759年)に、畿内七道の街道の両側に果樹を植えるよう
に、太宰官府で出されている。中国からの影響で、藤原京や平城京にヤナ
ギやタチバナ、平安京にはヤナギとエンジュが植栽された。
近世
戦国時代には、 織田信長が道奉行を任命し、東海道と東山道にマツと
ヤナギを植えさせている。また、上杉謙信や加藤清正などの戦国武将らも街
道に植栽を命じた。江戸時代に入ると、徳川家康は、旧五街道を中心に植
栽に取り組み、マツやスギが植えさせた。当時、道路奉行が任命されたり、
きめ細やかな取り決めや指導が行われおり、街路樹の植栽技術の管理、運
営の基礎が確立していった。
近代
江戸時代から明治時代に移るにつれて、街路樹の保護が緩やかになり、
各地で乱伐されるようになった。そこで、乱伐を防ぐための対策が取られた
が、乱伐を止めるころはできなかったようだ。
しかし、明治時代後期には、本格的に街路樹を植栽する動きが見られるよ
うになり、街路樹計画が実施された。昭和元年に、帝都復興事業が完了し
た後、街路樹という用語が一般に普及していった。それ以前は、並樹(木)、
街道樹、街道並木と呼ばれていた。
近代に入ってから、街路樹は、人口過密な都市の景観的魅力を向上させ
るために発達し、また欧米都市の影響を受け、樹種の選択、植栽の手入れ
方法の改良により、著しく進歩し普及した。
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