4.そして、サバイバーのケアは?

 

ここで、章タイトルにあるサバイバーという言葉についてのご紹介。虐待を受け、それに耐え続け、そして開放された後も残る傷跡と向き合う人たちのことは、犠牲者の意味の強いビクティム(victim)とは呼ばずに尊敬の念を籠めてサバイバー(survivor)と呼びます。

 

 前の章にちょろっと言ってみたけど、もちろん、虐待が叫ばれだした前から虐待はあったのは事実。ただ、それは虐待と呼ばれずに躾とかそういう聞いて肯定的な扱いの名前を借りていたり、大事に大事に”密封”されてきた。虐待が生死に関わるレベルなら露見されるけれど、陰湿にパッと見だけでわからないところを殴られたり、性的な虐待、ネグレクト(育児放棄)などであれば簡単には露見することはない。虐待する親はもちろん、子どもの方もこういう扱いを受けることが愛情と思っているから、被害者加害者が一緒になって隠すからだ。そういうつらい体験をくぐりぬけて生き抜いた人たちの統計というものはないけれど、相当数があるのではないだろうか。彼らの中には青年期早期ごろから人格障害、と呼ばれる傾向が見られるようになる(これは被虐待児全員がなるとは限らないらしい)。コミュニケーションが上手に取れなくて、対人関係がぼろぼろだったりとか、神経症に悩まされたりとか、震災時にいろいろ注目を浴びたPTSDを起こしたりとか。

彼らのケア、これがどうなっているのだろう、て言うのがこの論文のテーマです。やっと問題定義に辿り着いた。ふぅ。

 

普通に考えて、行政の手は借りれないでしょうね。今、虐待されている子供のケアだけでも十分に出来てないもの。刑法とか調べて見たけれど、親を暴行罪とか強姦罪で訴えるにしても時効とかの問題があるし、自分を生み育ててくれた(というのは多分間違いない)親という存在を法廷にひっぱり上げる勇気ってよっぽど周りの人がサポートしない限りありえないし、ネグレクトなんか虐待されてた子が死んでしまえば後で刑が与えられることもあるだろうけれど、過去の話なら絶対証拠不十分だし。親をどうこうしようするというのは、ほんの一つのアプローチ方法だし。何よりこの章で扱う人たちは虐待を受けていた、つまり今は受けていない人たちだしね。

その他には、help*linkで紹介したようなNPO団体。合同ミーティングを重ねてそこで同志を見つけたり、話を聞いてもらうことで自己の開放に向かうその場の提供をするところとか。私みたいに人と馴れ合うのが嫌いな人はどうなるんだろう?と思った時に、理想はきっとこんなんじゃないのかな、と思ったものに出会った。…その時にはもう無期限のお休みに入っていたんだけど。

 

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