2.そしてその裏の社会ってこんな感じになった
日本は高度経済期に増える!お金に、増える!仕事にシフトさせるためにガンガン合理化を推し進めていた。
あの当時はやった黄色と黒の栄養ドリンクのCMまんまのジャパニーズ・ビジネスマンの頑張る姿がまんまその時代を
象徴している気がする。その影響をモロに喰らったもののひとつが家族なんだよね。
近代と呼ばれる時代が到来して、核家族が増えた。それまでは家族というか親族はみんなひとつどころに住んでいたけれど、会社に近いところに最小単位に削った核家族だけが住んで、盆正月は田舎でのんびり、
というスタンスがより顕著になった。そしてお母さんは家を守るという日本伝統と呼ばれている形(実際大嘘)は核家族でもちゃんと継承された。”仕事が一番大切なんだー!お金に勝るものはないんだー!”という哲学が蔓延して、お母さんという存在は一人暮らしを始めたばかりの子供くらいにしかありがたい存在として扱われなくなった。人と関わる(コミュニケーションする)、という人間には大切な営みも仕事の前には、いらないこと、面倒くさいことと優先順位を低くされてしまった。更に会社に働くお父さんたちは外に働きに行ってるわけで、ついでに帰りに飲みに行ったりなんかしちゃったりして、まだ人と関わることも出来たわけだけど、お母さんは家で家事。働いたとしても、家事や子育ての負担分があるから働けなかったり、諦めざるをえなかったり。で、”仕事が一番大切なんだー!お金に勝るものはないんだー!”哲学を照らし合わせて見れば、社会で一番偉いという風にされるのは”働く人(=男の人)”で、なのに彼らは自分の仕事にいっぱいいっぱいで、世の中のお母さんとされる女性たちのその現状に気が付かなかった。それで社会の主導権を持っていたわけだから、どんどん女性にとっての悪循環は仕方ないことといえば仕方ないことなんだよね。
そんなお母さんたち(つまり結婚する前の社会しか関わりを持っていない人たち)が子育てをした。つまり子供たちはお母さん以外の世界をほとんど見ることなく育てられた。彼らは自分に欠陥があると気づいていない。なぜなら彼らの人格と呼ばれる人間としての基礎を作るのに周りから取り込んだデータはほとんどお母さんのものだから。お母さんは本当の愛情を正しく伝えているとは限らない。だって、社会から隔離されてストレスのはけ口って子供しかいないんだもの。社会に見捨てられたお母さんが子供を使って社会に“復讐”すること、これは学歴競争の一端を担っていたのは紛れもない事実だ。
そんな中で、虐待が80年代からぽつぽつと聞かれるようになり、90年代に脚光を浴びることになる。メディアが流す凄惨な家庭。それを見て”コレは、虐待なんだ(または虐待じゃないのか?)”と気づく人も増えた。これは社会問題なんだから、何とかしなくちゃいけない問題なんだ、と今考えれば当然の考えが広がった。法制度や設備などの行政サイドのバックアップ体制も急激な速度で完成した。
お母さんたちは”虐待”という言葉を知って、とても驚いたんじゃないかと思う。だって、子育てを見たことがないのに、極限状態におかれているのに、マスメディアはガンガン報道する。マスメディアは社会の象徴だから、虐待する親というのは社会的にヤバい人たちという認識をする。…自分のする子育ては本当に”正しい”ものなのだろうか?お母さんのお母さんとしかおのれの基礎の世界を作っていない、現代のお母さんたちは不安に落とされることとなった。ただし、こういうお母さんたちはまだ危機感を持てたから改善の予知があるからまだ大丈夫なんだけど、そうじゃない人もいる。
そして、パッと見には万全に見える行政システムは問題が山積みで。むしろほとんど機能していないといってもいい気がする。虐待されたとして認知された子供の8割も家に帰してたら意味ないでしょう!?連携も出来てないのに傷ついた子供なんか救えないよ。